本ブログは私たち家族の佐賀移住を計画段階から公開し、その苦楽や顛末などをお伝えしていこうという取り組みである。

【登壇内容全公開!!】東京の移住イベントで登壇してきた話

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私は東京生まれ東京育ち39歳。
2019年4月。サラリーマンを辞め妻と子供の家族3人で妻の実家のある佐賀県有田町へ移住をしてきた、佐賀移住生活4ヶ月目の地方移住者である。

そんな佐賀移住したての私たち家族に想定を越える出来事が起きた。以前の記事でもお伝えした通り、佐賀県庁から「東京で行われる移住イベント」での登壇のご依頼をいただいたのだ。

 

今回は、その東京で行われた移住イベント登壇の一部始終を公開したい。

  

◆依頼を頂いたのは移住して間もない5月頃

佐賀県の移住担当の方から登壇のご依頼頂いたのは今年の5月頃だったと記憶している。佐賀移住を決心して依頼、本ブログの執筆を開始し移住検討者へ向けて情報発信していた私は、またとない機会に是非にと承諾した。しかも無料で東京帰省出来る。ひゃっほー!

とはいえ当時私たちは佐賀移住して1ヶ月。一体何が伝えられるだろうか?当日イベントに参加するのは佐賀や長崎への移住を検討している人たちだ。考えた結果、私たちが移住検討から決心、実際に移住するまでに至る経緯と、その中で感じた悩みや気づきについてお伝えしようと考えた。ていうかそれしか伝えられん。

 

◆イベント当日

2019年7月6日、小雨の降る東京有楽町。イベント佐賀県長崎県合同Uターン・Iターン説明会』は銀座交通会館のふるさと回帰支援センターで行われた。 

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銀座交通会館

実は私は10年ほど前この交通会館の近く「銀座INZ」の中のイタリアンレストランでアルバイトをしていたことがある。丸ノ内線で銀座に通い、昼から晩まで接客をしたものだった。あれから10年後の朝、当時通っていた通勤路を通り目的地へ向かう。あの時私は結婚もしていないし、まだ20代だった。まさかその10年後、当時付き合っていた彼女と結婚して子供が出来て佐賀移住しているとは!そしてこの銀座で、先輩移住者としてセミナー登壇することになろうとは!当時の私が如何なる想像力をはたらかせようとも想像できなかっただろう。

 

 ◆到 着

会場は交通会館の3階。大きめの会議室という感じの部屋が、パーティションよって佐賀県エリアと長崎県のエリアに分けられていた。各市町はブースを設け、担当者が移住検討者の質問に答えたり市や町の魅力や移住支援の内容を伝えている。さながら合同就活セミナーといった雰囲気だが、来場者も担当者も和気あいあいとしていて就活のようなピリピリとしたムードはない。来場者は若い人から老年まで幅広く、地方移住への感心の高さと年代の幅広さに驚かされた。

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開場前の様子

私たちが登壇する場所はこの会場内の佐賀エリアと長崎エリアの境にある一角。そこには資料を映しだす大型のモニターが設置されていた。

   

◆発表開始

発表は会場内でふんわりとスタートした。来場者はブースで話を聞いていても、発表を聞いてもいいというフリースタイルだったが、モニターの前に並べられた20脚ほどの椅子はほぼ埋まっていた。発表は、長崎県の担当の方が長崎を紹介➡佐賀県の担当者の方が佐賀県を紹介➡長崎県の先輩移住者さんが登壇➡佐賀県の先輩移住者(私たち)が登壇。という流れで行われた。

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実際の登壇の様子

 ◆登 壇 

それでは以下に実際の資料に少し修正を加えたものを利用して、私たちの当日の発表内容を再現しよう。実際は妻とデュエット形式で発表したのだが、記述での再現が面倒なのと、当日は緊張してうまく話せていたか分からないので、私の理想と妄想も多分にアレンジしたブログバージョンでお送りしたい。  

 

 

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初めましてM氏と申します。私たちは今年の4月に佐賀県の有田町という所に移住しました。しかしこの移住には悩みや葛藤も多くありました。そしてまた気づきもありました。今日は私たちがこの佐賀移住を通して体験したこと、感じたことをみなさんにお伝えしたいと思います。 

 

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まず私たちのプロフィールを紹介させていただきます。

私たち夫婦は6年前に東京で結婚しました。そしてその翌年の2014年5月、当時勤めていた会社の辞令で福岡へ転勤することとなります。同年の7月には第一子となる娘が誕生しました。そして福岡で5年間生活した後の今年の4月、佐賀県の有田町へ移住をしました。

東京生まれ東京育ちの私と、福岡生まれ福岡育ちの娘はIターン移住。佐賀県有田町出身の妻はUターン移住となります。

 

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次に、私たちが移住した佐賀県有田町について紹介させて頂きます。有田町は佐賀県西部に位置する人口約2万人程の町。図書館で有名な佐賀県武雄市や、長崎県佐世保市波佐見町に隣接しています。創業400年の伝統を誇る有名な「有田焼」の産地。焼き物屋さんなどの古い建築が複数残る町並みは、伝統的建造物保存地区にも指定されています。一方、有田町西部の旧西有田町には美しい山々や棚田が広がり、豊かな自然を体感出来ます。

移住地としてこの町を選んだ理由は、妻の地元だからですが、自然と文化が融合する素敵な町だと私もとても気に入っています。

 

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それでは私たちの移住についてお話ししていこう思いますが、その前に一度原点に立ち返って考えてみましょう。そもそも移住とはなんなのでしょうか?

Wikipediaによれば、

 移住(いじゅう)とは、他の場所に永住することを目的として、ある地域や国を離れる行動である。
要因は、「引かれる」要因と「出る」要因の2つに大別される。より良い経済的機会や生活水準の向上またはより良い気候条件を求めることが「引かれる」要因の例である。一方、貧困への恐怖や宗教的、政治的差別が「出る」要因の例である。

とあります。

これは、中世以前の西洋における移住活動についての定義でしょうが、ここにある「移住には、今より良い環境に身をおきたい「引かれる要因」と今の生活環境から逃げ出したい「出る要因」の2つの要因がある」という記述。これは、現在の日本社会で生きる私たちにとっても同じことが言えるのではないでしょうか?

今日この場にいらしている皆さんも何かしらの要因があり移住に興味を持たれているものと想像します。そして、

 

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私たちもそうでした。

それでは、私たちの佐賀移住における移住検討当時の「出る要因」「引かれる要因」をお話しましょう。

 

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私たちの「出る要因」つまり移住前の悩みはこのようなものでした。

私は現在39歳。いわゆる「ロストジェネレーション」と呼ばれる世代です。正社員として就職はしたものの仕事のストレスは多く、頑張っても報われるイメージが出来ない中、仕事を続けていました。それは「耐え難い生活」とまでは言いませんが「夢を感じられない未来」「想像がつき過ぎる未来」に漠然としたモヤモヤ感を頂いていました。

一方妻の悩みは、より具体的で現実的なものでした。それは主に子育てや仕事の悩み。福岡という慣れない土地で始まった新しいワークスタイル(在宅勤務)と初めての子育て。私の帰りが遅い日が続くとワンオペ育児状態となり、人と直接会わない在宅勤務というワークスタイルもあり愚痴や悩みを聞いてもらう機会も減りました。このような慣れない地方都市でのマンション暮らしの核家族での子育ては彼女の心身を疲弊させたのです。

 

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一方でこちらが、私たちの「引かれる要因」つまり地方移住への期待です。

田舎暮らしをしたことのなかった私にっとて、田舎暮らしには漠然とした憧れがありました。また「未来が予測できない」ということに対して、むしろ希望や面白さを強く感じました。

妻は、もともと住んでいる土地に住むことで「祖父母の支援を受けられる。」「保育園に入りやすい」「人との関わりが増える」など、子育や生活面での条件UPが予測できました。

 

このように都市生活へ対する不満「出る要因」、田舎生活へのあこがれや期待「引かれる要因」から、当時の私たちはこう考えていました。

 

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明確な期日を設けてはいませんでしたが、「いつか移住できたらいいな」と考えていました。​しかし・・・

 

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私たちは結局行動を起こしませんでした。その​理由は移住への不安です。

実際に地方移住をすることを考えてみると​、現状のモヤモヤ以上に、移住に対する不安は大きかったのです。その不安の多くはお金と子育てについてでしたが、その不安に対する、明確な解決策や、確証が持てる対応案は得られませんでした。​​

このように不安が大きく、現在の生活も耐えられないほどではなかったため、私たちは​移住はしたいと思っていたものの具体的な行動は起こさず、先延ばしにしたまま福岡で生活を続けていました。​

 

しかしそんなとき、ある事件が起きたのです。

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当時私が勤めていた会社から、東京本社への転勤の打診が来たのです。

そして、

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この転勤打診が私たちの佐賀移住のトリガーになりました。

私たちはこの打診を、ただの会社からの転勤打診ではなく、神から与えられた究極の選択「これからどう生きるかの選択」を突き付けられた様に感じたのです。このタイミングでの転勤打診は、私たちにとって天啓と受け取っても仕方ないタイミングでした。

そして私たちが出した結論はご存知の通り、

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「佐賀移住しちゃえ!」このタイミングしかないと一気に舵を切りました。

 

しかし、この決断にはもちろん迷いもありました。先に挙げた不安に対する解決はこの時点で得られていませんでした。今回本資料を作るにあたって、あの時私たちが一体なぜ佐賀移住を決断できたのかについて、改めて考えてみました。

それがこちらのスライドです。

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佐賀移住決断における一つの大きな気づきは、あるラインから論理的議論が一切無力になったという事実です。

転勤打診をトリガーに私たち夫婦は、移住するかしないかについて、本格的な議論を始めましたが、やはり移住に対する不安は大きく「もし」「たら」「れば」的なことを考えてしまい、なかなか決断出来ません。ただ、いろいろ調べた結果。佐賀移住をしても、すぐさま生活に困窮するわけではなく、仕事も選ばなければありそう。ということは分かりました。少なくとも​移住しても2~3年は生活出来そうだという最低限のライフラインは確認出来たのですこれがSTEP1でした。現在の貯金額や想定される移住後の生活コスト、そして仕事の有無や、想定収入。これがある程度数値的に分かったのです。

そしてSTEP1以降は、論理的な議論は一切通用しませんでした。起こるか分からない未来の不安の話は、議論にすらなりませんでした。少々胡散臭く感じるかもしれませんが、STEP2は心と感覚の世界でした。自分たちの心としっかりと向き合う段階です。その中でも私たちの移住決断を助けた考えがこのスライドに記載した、感覚や価値観、可逆性というものでした。そしてなかでも重要なのは「勢い」でした。私たちの場合は東京転勤打診が大きなトリガーとなりましたが、現在の生活がよほどつらくない限り、よりよい生活への転換に膨大なエネルギーを注ぐのは難しいことだと思います。なにかしらの勢い、こじつけでも構わないので、「天啓」、「トリガー」、そういったものを感じた時に、一気に舵を切るのがいいと思います。

 

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次にもう一つ、みなさんに希望が持てる気づきをお伝えします。それは、決断をしたら不安が消えたということです。思い返すと移住検討時は不安やリスクの回避しか考えておらず、その不安を本気で解決しようという考えは持っていませんでした。しかし移住をすると決めると不安は課題に変わります。もちろん移住した時点でその課題は解決していないのですが、不安が課題に変わると不思議と不安は消え心も落ち着いたのです。

「この課題はなかなか手ごわそうだが、私たちならなんとか出来るだろう。」と前向きに考えられるようになったのです。

 

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 こうして、2019年4月私たちの佐賀移住は完了しました。

 

現時点で移住して丁度3ヵ月になります。

それでは以降のスライドでは移住後の私たちの近況と、現時点での気づきについてお伝えします。

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まずは妻の現状と気づきです。

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5年前に転勤で福岡に住み始めて以来、妻はリモートワークを始めましたが、現在も続けています。平日は、佐賀県有田町と東京表参道のオフィスをSkypeやSlackつなげて仕事をします。リモートワークならではの大変さは変わりませんが、移住をして仕事以外での人との関わりが増えた分ストレスは減りました。

 

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さらに、子育てについては良くなったことが多いと感じています。保育園は特に苦労せずは入れましたし、歴史ある町並みの散策や、自然体験などは簡単に参加できます。お隣、武雄市の図書館も車で20分ほど。祖父母とのふれあいも、子供にいい影響を与えていると感じます。

 

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妻は移住をして利便性は減ったものの、幸福度は上がったと感じています。それは簡単に数値化できるものではなくその人にとっての幸福度。彼女にとっては、親や祖父母、町の人たちとの関わりが増えたことで幸福度が増したと感じたのです。

 

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次に移住後の私の現状と気づきです

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まず、移住を決断した時点で私は自身に起きた明らかな変化を感じました。移住を決める前、サラリーマンだった頃の私は自分の気持ちはあまり気にせず、社会やコミューン(例えば会社)との協調を優先し自分の心のモヤモヤは、なるべく見ないように、あるいはそれをなだめるようにその正当性を自分に言い聞かせていたように思います。

しかし、移住を決めると自分の心や考えというものをちゃんと観察するようになったのです。移住決断後は、他者優先、社会優先の考えは次第に消え、自分の心を大事にしようと考えるようになりました。

 

そしてもう一つ変化が起こります。

 

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それは、このような使命感が芽生えたことです。

ジャーナリズム:

移住決心後、私は「この体験を同じような悩みを抱える人にも伝えたい。」と考えるようになりました。ブログの執筆やTwitterによる情報公開を始めたのもそのためです。

社会実験:

そしてもう一つが社会実験。私には移住をして「カフェをやりたい」とか「パン屋をやりたい」とか、何かしたいというものがありませんでした。しかし移住を決めた後、普通のお父さんが会社辞めて佐賀移住したらどうなるのか?ということにつよく興味が沸いたのです。そこで私は佐賀移住を決めた後、事前に仕事を探すことはせず、仕事探しは移住後にすることに決めました。私という人間が佐賀に移り住んだ時、どのような化学変化が起こるのか実験をしたくなったのです。

 

そして2019年4月、ようやく移住が完了します。そこでまず私がやったことは、

 

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何もしませんでした。

移住後の有給消化の1ヵ月半。退職直前の激務の疲れを癒し新しい土地に心身を慣らしながら、前述の社会実験を始めました。

この写真は私が今も通う町内のファミレスの様子ですが、何が起こるのか期待と興味を抱えながら、私は毎日この誰もいない平日のファミレスに通い続けました。

自分から能動的な行動を起こすより、その場所に自分を置いたときに何かが起こるのかということに興味がありましたし、先日までサラリーマンをしていた私が能動的に行動しても、想像を越えないつまらないことしか起きないだろうと考えたのです。

 

そして現在移住して3カ月。現時点での社会実験の進捗をお伝えしましょう。

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結論から言うと私の想像を遥かに超えることが起きました。

 取 材:

まずは佐賀県からの取材を受けました。私は都内で7回ほど転居をしていますが、転居によって取材を、受けるなど初めての体験です。

仕 事:

また、町内の方から、お仕事の依頼を頂きました。経営者や事業主の方々より、協業や業務委託など仕事のご依頼やお声掛けを頂きました。単発の依頼の他、一緒に仕事をしたいというものもありました。補足しますが、この時点で私はファミレスに通っていただけで、履歴書一枚書いていません。

登 壇:

そして、今日はここ東京は銀座で、佐賀県からの依頼を受け、皆さんの前で偉そうに登壇をしています。くどいようですが、私は佐賀に引っ越してファミレスに通っていただけです。

出会い:

仕事のご依頼に他にもの、町内外の多くの方と出会いお話する機会に恵まれました。その中には、私がこれまでの都市生活では出会ったことのなかった、とても優秀でユーモラスで面白いな方々もたくさんいます。

 

この様なイベントが発生し、おかげで現在、仕事と収入も得ることが出来ています。現在はフリーランスのWeb制作エンジニアといった立場ですが、今後はさらに面白い発展もありそうです。

 

さて、先日までごくごく一般的で平凡なサラリーマンだった私の身に、佐賀移住しただけで、一体なぜのはこのようなことが起きたのでしょう

この結果についてについて私なりに考察をしてみました。

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それがこちらのスライドです。

 

田舎情報網:

まずお伝えしたいのは田舎の情報網の高性能さです。田舎の情報伝達は非常に早くその精度も高いのです。この情報伝達は非常にアナログな方法で行われます。例えば、スーパーで出会ったお母さん同士の会話などから始まり、その家族、家族が属する別の集団へと多重伝搬していきます。

OSEKKAI:

もう1つ重要なのが、この情報伝達を行う人たちの特性「OSEKKAI」です。田舎の人はすべからく「OSEKKAI」です。ましてや愛する自分の町に移住して来た移住者に対してなど、世話を焼かずになどいられません。町の人たちが私たちのことを気にかけてくれているというのは、現在でも感じます。

 話しやすい土壌、空気:

さらに、田舎には初見の人に話しかけやすい、不思議な空気があります。私の東京の実家近くで、通りすがりの人に挨拶をするなどかなりハードルが高いですし、子供に話しかければ最悪通報されます。しかし、有田町ではそのハードルが非常に低いのです。同じ町に住んでいるというだけで、信頼できる雰囲気があるというか。初見の人や子供でも気軽に話をすることが出来ます。

 

この田舎の空気、精度の高い情報網、そして人々の「OSEKKAI」により、私という「移住者情報」と「それを求める人と仕事」が自動的にマッチングされたのです。結果私はただファミレスに通っているだけで、なんの求職活動もしていないのに、仕事や取材の依頼が舞い込んできたり、人と出会えたりしたのです。この分析は私の実体験をもとにした仮説ではりますが、田舎に住んだことのある方なら思い当たる点もあるのではないでしょうか??これから地方に移住をされる皆様の身にも起こる可能性の高い事案かと思います。  地方移住をする上では国や地域からの金銭面での補助なども大事でしょうが、このように田舎には「人と人が繋がりやすい装置」が存在するという事実は、一時的な補助金以上の価値がある場合もあると思われますので、一つ頭に入れておいてもいいのではないでしょうか。

 

さて、それでは今回の発表内容をまとめます。

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・移住をすると決めたら未来に希望が見えた。

 都市生活における、想像出来過ぎるしかし希望のない未来に比べ、地方移住を決めると予測のつかない楽しい未来が描けました。

・移住すると決めたら不安は課題にかわった。

 移住には不安が付きまといますが、実際に移住を決めるとその不安は課題に変わりました。そして課題になると不安は消え、なんとかしよう、なんとかできるという気になりました。

・移住すると決めたら気持ちや考え方も変わった。

 移住をすると決めただけで自分の考え方が変わりました。社会よりも自分を大事にしよう、自分の心を第一に考えようと、思えるようになりました。

・移住したら幸福度が上がった。

 利便性よりも人との関係性の方が、生活を豊かにしました。移住をすることで幸福度が上がりました。

・田舎は人と人が繋がりやすい

 田舎には人と人、人と仕事が繋がりやすい装置がありました。

 

最後に私たちから皆さんにエールのメッセージを送りたいと思います。

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私たちはこうして、佐賀移住し、現在佐賀に住んでいます。
今のところ、新しい生活に満足しているし、未来に不安も感じていません。
みなさんも、きっとみなさんに一番あった生きたかを見つけられると思います。
これを皆さまへのエールの言葉とさせていただき、発表を終わらせていただきます。
皆様の移住が、皆様の人生をより素晴らしいものにすると信じています。
ご清聴ありがとうございました。

 

沸き起こる拍手喝采スタンディングオベーション。涙を流すもの。笑うもの。天を仰ぐもの。失神する女性ファン。。こうして私たちの発表は幕を閉じた。

 

以上が、 先日東京で行われたその移住イベントでの私たちの登壇内容の全てである。記載内容にはこれまでブログでも書いてきた内容も含まれるが、改めて自身の移住について振り返り整理する作業の中で、私自身も気づきや発見があったと感じている。今回このようなご依頼がなければ、自分の移住についてここまで深く振り返ることはなかっただろう。ご依頼を頂いた佐賀県庁のみなさまに感謝するとともに、今回の話が移住検討者の方たちにとって意義のあるものとなったことを願うばかりである。

 

 

 

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