本ブログは私たち家族の佐賀移住を計画段階から公開し、その苦楽や顛末などをお伝えしていこうという取り組みである。

【ディズニー映画に隠された秘密】『モアナと伝説の海』は日本の地方移住を描いていた!!

私は東京都世田谷区生まれ。約40才。システムエンジニア
現在、妻と子どもと福岡に住んでいるが、近々佐賀県有田町へ移住予定のプレ移住者である。本ブログは私たち家族の有田移住体験を計画段階から発信し、その苦楽や葛藤をお伝えしようという取り組みである。

 

さて今回はディズニー映画に隠された秘密。実は『モアナと伝説の海』は日本の地方移住を描いていた!!というお話である。

 

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◆モアナとの出会い◆
一見して、ひねくれた人間と思われがちな私であるが、実はとてもピュアな人間なのでディズニー映画は大好きだ。「わたしはプリンセス!」と豪語してはばからない4歳の娘がいることもあり、最近特にディズニー映画を観る機会が多い。

『モアナと伝説の海』は前々から観たいと思っていた作品の1つだったが、先日初めて観る機会を得た。(※娘はドレスを着たキラキラしたプリンセスが好きなので、モアナのパッケージを見てもなかなか観たいと言ってくれなかったのだ。粘り強い交渉の末ようやく鑑賞にまで漕ぎ着けたのだ。)

 

プリンセス系での前作となる『アナと雪の女王』の圧倒的人気のためか、ちょっと存在感薄いなと感じていた『モアナと伝説の海』。

しかし実際観てみると。。

めっちゃいい!!一番好きかも!!

何でもっと早く観なかったのか後悔したくなるほど素晴らしい作品だ。

さすがはディズニーと言った映像美。音楽。ストーリー。個性豊かなキャラクターたち。大人も十分楽しめる内容となっているのは言わずもがなである。

特に私が好きなのはこの作品の主題歌である。美しくどこか儚げなメロディー。「空と海が出会うところは どれほど遠いの」というサビの歌詞。それとモアナの優しくも勇ましい歌声、ストーリーなどが一体となり、壮大な自然へ立ち向かう人間の強さや勇気を感じさせてくれるのだ。作品全体の世界観やテーマ、ストーリー、ひいては鑑賞する側の心と共鳴し合う素晴らしい主題歌となっている。また、モアナはポリネシア系で初のディズニープリンセスだと思うが、これまでのプリンセスとは異なる印象の等身大のプリンセスは新鮮でとても魅力的だ。「プリンセスとは表層のキラキラ感がなくとも内面から光り輝くものなのだ。」と娘に教えてやりたい。観た後、心に南の海から吹く風が抜け、希望と勇気が満ちてくる、そんな素晴らしい作品となっている。

 

◆『モアナと伝説の海』に隠された驚くべき秘密◆

号泣しながら鑑賞した私であったが、何度か観ているうちにこの作品に隠されたあるとんでもない秘密に気付くこととなる。

これはもしや。。いや、そんなはずは。

だがしかし。。いや!間違いない!

『モアナと伝説の海』は現代日本の地方移住のことを描いている!!!!

「いやそんな訳ないだろ」とお思いの方も多いだろう。信じられないのも無理はない。

だが大丈夫。私を信じるのだ。

あらゆる邪念と偏見を捨て以降をお読み頂きたい。

明日以降「実はモアナと伝説の海って~、」と友人等に自慢気に話すこととなるだろう。

 

 

◆モアナと伝説の海◆

まずは『モアナと伝説の海』のストーリーをざっくりと紹介しよう。

以降は一部ネタバレがあるので、お読み頂く際はご注意頂きたい。ただし以降のネタバレがあったとしても楽しく観れる作品であることは保証出来る。

 

〈ストーリー概要〉

舞台は環礁の上の小さな南の島。

小さな島だが魚や木の実など豊富な資源に恵まれ、みな幸せに暮らしていた。

その島を治める村長(むらおさ)の娘モアナは、幼少期から島の環礁の外にある青い外海(そとうみ)に強い関心を持っていた。しかし外海に出ることは島の掟で堅く禁じられていた。「島に住む人は環礁の外にある外海には決して出てはいけない。」それは島に受け継がれる絶対の掟であった。

それでも外海への強い関心、憧れにも似た気持ちを捨てきれないモアナ。そんな中、島で不漁や木の実が病気になるなどの問題が起こり始める。外海で漁をすることを提案するモアナであったが、掟を重んじる父に強く諫められてしまう。「お前は一生この島からは出られない!」モアナにはそう言われたように感じられた。

その夜、1人海辺に佇むモアナ。そこに現れたのは島の長老であるモアナの祖母だった。島の秘密を教えるという祖母に連れられ島の奥の洞窟に入るモアナ。

モアナがそこで見たものとは。。

 

なんとそこにあったのは、モアナの先祖たちがこの島に初めて上陸したときに乗ってきた木製の船の船団だったのだ。

そう。モアナの先祖達は海を渡っていたのだ。

モアナの心に太古の勇気と希望が満ちる。自分がどこから来たのか、何故これほどまで外海に強く惹かれるのか、その答えが分かったのだ。

 

祖母から光輝く宝石(テ・フィティの心)を渡されるモアナ。

伝説によれば、かつて半神マウイが盗んだという女神テ・フィティの心。それを再びテ・フィティに返せば、外海は穏やかになり、島や海に豊さが戻るという。しかしマウイはかつて女神テ・フィティの心を盗んだ際、マグマの巨人テ・カアに破れ、今はどこにいるかも分からない。

島の危機を救うため、自身の心の答えを見つけるため、小さなカヌーで外海へと漕ぎ出すモアナ。

一体彼女にどのような試練が待ち受けるのか?彼女は半神マウイを見つけだしテ・フィティに心を返す事が出来るのか?彼女は島を、海を救うことが出来るのか?

そして冒険の最後に彼女が出会ったものとは!?

 

 続きは是非ご自身で観てほしい。

 

 

◆『モアナと伝説の海』と現代日本の地方移住事情との多くの共通点◆

それでは本題に入ろう。

前述の通り、私はこの作品は現代日本の地方移住のことを描いているとみて間違いないと考えている。

何故なら、『モアナと伝説の海』と現代日本における地方移住事情には、偶然の一致とは思えないほどの驚くほど多くの共通点があるのだ。『モアナと伝説の海』のストーリーやキャラクターは、現代日本における地方移住の何かしらメタファーとなっており、最終的に地方移住を推奨しているのだ。

 

以下にその具体的な内容を記載していこう。

※可能であれば以下は、先に私が絶賛した『モアナと伝説の海』の主題歌を聴きながら読んで欲しい。

 

モアナの住む南の島は「東京」「安定した都市生活」

まずモアナが住む南の島。これは現代日本における「東京」または「安定した都市生活」のメタファーとみて間違いないだろう。何をもって安定とするかは難しいところだが、「一定の収入があり将来的にもある程度高い生活水準を維持できる目処がある。」といったところだろうか?

しかしモアナの島同様、経済成長の終わった現代日本では人口減、生涯収入の低下、高齢化など、今まで安定と考えられてきた常識が覆りつつあるのが現状である。

人並みの生活水準をなんとか維持するためにストレスを抱え必死に働く。そんな生活に違和感やいきづらさを感じている人は特に若い世代で多いのではなかろうか?

そう、現代日本社会はまさにモアナの島と同じ、豊富な資源が失われ始めているのだ。

 

外海への船出は「新しい生き方へのチャレンジ」

滅びつつあるとはいえ当面の安定が約束された島での生活。

それと対局的なのが外海である。

問題が解決する可能性はあるが、リスクもある。仮に島にいればこのままじりじりと衰退していくということが分かっていたとしても、外海に出るには勇気とエネルギーが必要だ。東京で仕事をしていれば苦しいし、明るくない将来も見えているが当面の安定も保証されている。新しい生き方をめざす為には、まさに厳しい海へ漕ぎ出さなくてはならない。安全な環礁の外に出なくてはならない。

そう、無限の希望とリスクを含む外海はまさに新しい生き方への模索やチャレンジのメタファーと見て間違いないだろう

 

テ・カアは「暴走した資本主義」

圧倒的パワーを持った心無きマグマの巨人テ・カアは、暴走した資本主義社会のメタファーと見て取れる。消費と生産性だけを追い求め続けた結果、収入格差は広がり続ける。経済が発展しても人の心が少しも豊かにならない。行き着く先が破滅であろうとみながわかっていても、もう誰にも止められない、手が着けられない。まさに滅びを前提する暴走した化け物と言えよう。

 

テ・フィティは「心ある新しい社会」?

すべてにおいてテ・カアと、大局的な女神テ・フィティ。謎の多い存在ではあるが「何かのメタファー感」は全キャラクター内堂々のナンバー1である。彼女はかつての古きよき時代や社会の象徴かもしれないし、あるいはこれまでにない新しい社会や生き方の象徴なのかもしれない。

 

モアナの父と母は「毒親

古い価値観を押し付け、モアナの想いや可能性を真っ向から否定するモアナの父と母はまさに毒親である。

彼らは古い価値観を押し付ける毒親またはブラック企業の上司などのメタファーであろう。

それが相手を想うためであったとしても、現状を正しく把握できていない無知からくる否定的助言など、悪意よりもたちが悪いものである。

 

モアナの祖母は「本質を見る変わり者」

モアナの気持ちを誰よりも理解しモアナに船出のきっかけを与えるおばあちゃん。彼女は島では変わり者と言われている。社会が大きな変化を迎えているような状況の時。本当に正しいことを言っている人は変わり者と言われるような人なのかもしれない。

本質をみる変わりもの。あなたの周りにもそんな人が1人くらいいるのではなかろうか?

 

マウイは「キーマン」「この世の心理?」

半神マウイはこの作品のキーマンとなっている。

彼はテ・フィティの心を盗んだ本人でありながら、一方でモアナを助ける最大の協力者でもある。彼は一体何のメタファーなのか?

パンドラの箱を開けた本人でありながら最後の希望でもある存在。

彼は1つレイヤーの異なる、何らかのこの世の真理を表すメタファーなのかもれない。

 

モアナはもちろん「あなた」

そしてモアナはもちろんあなたである。モアナの様に世界を救えとはいわない。でも、もしあなたが今の状況に違和感や生きづらさを感じているならば、勇気をもって外海へ漕ぎ出してほしい。空と海の出会うところにもっと輝かしい何かがあるかもしれないのだ。

 

 

以上が『モアナと伝説の海』に見られる「現代日本における地方移住」との驚くべき多くの共通点の、数々である。上記の他にも作品内には、こじつけようと思えばいくらでもこじつけられる共通点が見受けられる。

これは控えめに言っても100%一致していると言っていいだろう。

 映画に関わらず優れた作品というものは、受け手に解釈の余地を与えるものである。

私にとってこの作品は間違いなく現代日本の地方移住を描いていると感じられたのだが、あなたは如何だろうか?

 

◆最後に◆

最後に『モアナと伝説の海』を観て私が感じた、少し真面目な「地方移住との共通点」について話したい。

それは、モアナは問題(島で不漁や不作)が起こる前から、島の生活に違和感を感じており外海に強い興味を持っていたということである。

モアナはきっと、島に危機が訪れなくとも結局外海に出ただろうと私は思うのだ。

そしてその原動力となっているのは結局は心の底にある現状に対する違和感やモヤモヤなのだ。

私の佐賀移住も同じである。

そこには確固たる信念もなければ、思想も使命もない。

ただ東京や福岡でサラリーマンをやっていくという生活やその後の人生に、漠然とした(しかしとても強力で抗うことが困難な)違和感を感じているのだ。

そこにモアナへの強い共感を感じた

リスクを顧みず海へ漕ぎ出すという行動は、かつてオセアニアで実際に人間が行っていたことである。島にとどまっていれば安全であろう。それでもなお人々は新たな島を求め海へ漕ぎ出した。なかには島が見つからず、海に散った人もいるだろう。

そのような行動は、合理的、論理的な思考からすれば、愚かな行動ということになるだろう。どう考えてもハイリスク過ぎる。

しかし、いやだからと言った方が正しいかもしれないが、移住というのは本能的な行動である。と私は思うのだ。

人類には個人的な安定よりも、人類としての冗長化、種の拡散、多様化などの為に、今ある安定を捨てても新しい可能性を求めたいと思ってしまう個体が一定数いるのではなかろうか。

それは自分や家族の為でもなく、人の為でもなく本能的な行動なのだ。

ながらく自分の移住理由に明確な回答を見つけられていなかった私であるが、それが人の心にもとより内在している多様化の本能だとするならば腑に落ちる点がある。

東京でサラリーマンをやっていくという、ある程度将来の予測が可能な安定した場所に身をおくよりも。何か別の、もっとしっくりくる生き方があるのではないかと期待してしまうのだ。

もちろん、移住を決めたときにそこまで分析出来てはいない。会社を辞める際に「本能です。人類の多様化の為です。」といって辞める訳にも行かないだろう。

しかし今思うとやはりそういう部分が少なからずあったのではなかろうかと『モアナと伝説の海』観た時に感じたのだ。

願わくば私たちの小さな船が豊かな資源に恵まれた島に着くことを望む。そして、元の島に残る皆に希望や勇気を与えることが出来たらなお幸いである。

 

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