本ブログは私たち家族の佐賀移住を計画段階から公開し、その苦楽や顛末などをお伝えしていこうという取り組みである。

【擁壁マニア爆誕】移住先住居を探していたら擁壁マニアになった

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突然だが私は擁壁(ようへき)マニアである。

正確には、つい先日擁壁マニアになった。

 

私は東京生まれ東京育ち。約40歳のシステムエンジニア。現在妻と子どもと福岡に住んでいる。
私たち家族は近々福岡から佐賀県有田移住を予定しているのだが、現在購入検討中の空き家が傾斜地に建つ擁壁物件だったのが私が擁壁マニアとなったきっかけである。

本ブログは私たち家族の地方移住をテーマとしているが、今回の記事は擁壁の魅力私が擁壁マニアになった過程など、擁壁愛溢れる擁壁づくしの擁壁回とさせていただきたい。

 

■擁壁(ようへき)とは何か

まずは擁壁(ようへき)とは何かについて説明しよう。
山や谷などの傾斜地に家や道などを建設する場合、自然のままの斜面がむき出しになっていたら崩壊や土砂崩れの恐れがある。この様な脅威から守るため斜面を覆うように作った壁。これが擁壁である。

分けても私は傾斜地に建つ民家などの小規模な建築物に関わる擁壁やその付随物に強い興味関心を抱いている傾斜物件擁壁マニアである。

そこで、そちらについてもう少し深く説明していきたい。

傾斜地に家を建てる時、当然ながら斜めの土地に家をそのまま建てることは出来ない。そこで斜面を平らにする必要があるのだが、斜めの土地を平らにする手段は大きく以下の3つがある。

 

1.基礎を盛って平らにする

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2.傾斜を掘って平らにする

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3.柱を立てて 平らな舞台をつくる

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上記のうち擁壁を有するのは1.と2.である。
擁壁はその工法、素材、経年変化などにより実に豊な色とりどりの表情を我々に見せてくれる。特に一般の民家など小規模な建築では安全基準が甘いためか、さまざまな種類の擁壁を見ることが出来、その分複数の個性ある擁壁に出会うことが出来るのだ。

 

■私と擁壁との出会い:

何故私が擁壁にマニアとなったのか、それを説明する前に私と擁壁の出会いを説明したい。

私が初めて擁壁なるものを知り、それと対峙したはつい先日のことである。移住予定地である佐賀県有田町で見つけた空き家物件が傾斜地に建つ擁壁物件だったのだ。

その家の間口は大きな通りに面しており正面側から見ると普通の家である。

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しかし、正面から見て家の右脇には2メートルほどの深い溝があり、覗くとはるか下方には雨が降った時だけ水が流れるのだろうか側溝がある。


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次に家の左手、側溝の反対側の細い脇道から家の裏手に回ろうとすると、そこは下り坂となっている。坂を下っていくごとにブロック塀はどんどんと高くなり、ついには私の身長を超すほどの高さとなった。

 

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家の裏側を支える壁(擁壁)は隣家と共有しているようだ。覗くと積み重ねられたブロック塀が何かを拒むかのように大きくそびえ立っていた。

 

ブロック塀は黒ずんでおり、その日は快晴であったにもかかわらず触るとヌルヌルとしていてた。
少々気にはなったが、価格(500万円)も含めそれ以外のポイントについては非常に気に入ったため、内見当日その場で物件購入に向けた検討を前向きに進めることとなった。つまり確保したのである。

その晩のことである。真夜中に突然目が覚めた。思い出したのはあの黒く変色し湿ったブロック塀のことである。あの壁は大丈夫なのか?私や私の家族を守れるのか?家の基礎を支えるにしてはあまりに心許ない見た目ではないか??
不安にかられた私はスマホを取り出し検索を始めた。その壁のことを擁壁(ようへき)と呼ぶことをその時初めて知った。さらに検索を進めると、無残にくずれた擁壁の画像やその修復や修繕を進めるサイトなどが多く見受けられた。擁壁の修繕費用なども物件購入前に検討しておかないと購入後に多額の費用が発生することもあるらしい。
これを見て不安にかられた私は、購入前に該当物件のハウスインスペクション(住宅診断)を申し込むことを決めたのであった。
以上が私と擁壁との出会いである。上述の通り決していい出会いではない。その時私は擁壁をむしろ厄介な問題と考えていたし、あの物件が平地に建っていればどんなに良かったろうと思っていたのだ。

 

そんな私の考えが180度変わったのはたまたま行くこととなった長崎出張である。

 

■長崎出張1日目:(擁壁マニア覚醒前夜)

このタイミングでの長崎出張は全くの偶然であった。

福岡から長崎は遠い。鹿児島までは新幹線で1時間半足らずで着くのに、長崎までは揺れの激しい特急電車に2時間も乗っていなくてはならない。現職の仕事で長崎の客先で2日がかりの仕事がある。2日通うよりも長崎で一泊した方が価格も安く、なによりあの揺れる特急電車に4回も乗らずに済む。

そのようにして、たまたま物件のハウスインスペクション結果待ちのタイミングで行くことになった長崎出張であった。そしてその地で私は衝撃の体験をすることになる。

そしてその結果、一人の擁壁マニアが爆誕したのだった。

 

長崎へ向かう、途中揺れる特急電車の中で私のツイートを引用しよう

この時点でも私の頭の中は購入予定の物件と擁壁のことでいっぱいである。ここでは擁壁を厄介な問題と捉えている様子がうかがえる。

 

しかし長崎に到着すると、驚きの光景が私の目に飛び込んでくる。

 

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それは山の頂上まで覆う多くの家々、これほど多くの傾斜物件すなわち擁壁物件が日本にあるとは知らなかったのだ。

 

1日目の仕事を終え、客先から退出した直後(18時ころ)の私のツイートが以下である。

 

 

  そう。長崎はまさに擁壁物件のオアシスだったのだ。長崎の少ない平地部分はほぼ繁華街となっており、民家は傾斜地に建っているようだ。マンション、アパート、新築から古い物件まで。あらゆる建築が傾斜地に建ち擁壁を有している。

私に一つの光明が差す。この町なら私の擁壁不安に回答をくれるのではなかろうか。

一日目の仕事が予定よりもスムーズに終わった私はホテルにチェックインした後に、町を探索することを決意した。

 

荷物を置き、ホテルからでると辺りはもう暗くなっていた。

私がとったホテルは繁華街つまり平地にある。ホテルの近辺には傾斜地はなさそうだった。そこで私はホテルから西側に移動してみた。

 

後で調べて分かったことだが、私が夜に探検したのは、画面左上の「樺島町」「万才町」「築町」というエリアだった。

このエリアは国道34号を稜線とする小さな山のようになっていた。

私は一旦その山を越えたあと、再度ホテルに戻る様にして樺島町から、万才町を経緯し、築町へと山を超えて歩いたのである。

 

丁度、樺島町と万才町の境目であろうか。急な斜面に建つ大きな建築を見た。

斜面側の隣接建築が取り壊されていたため、そのあまりにも大きな基礎と擁壁がむき出しとなっていた。残念ながら暗くて写真には写らなかったのだが、擁壁とは工法によってはこれほどの急勾配でこれほど大きな建築を支えることが出来るのかと感心した。

 

 さらに今度は、山の頂上を超え、築町へと降りていく。そこには、取り壊された廃墟と、むき出しになった擁壁があった。

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その擁壁を見た時、この町はずっと以前から傾斜と共に歩んできたのだなと感じた。

 

コンビニで弁当を買いホテルに戻って簡単な食事をとった後、私は近くのビアスタンドに入った。バスペールエールヒューガルデンを飲みながら、私はスマホを取り出し酔った頭でその時感じたことを執筆した。

その時の文章が以下である。

 

<酔っていた私が書いた文章>

傾斜地。それは文字通り傾き斜めになっている土地である。

 

人は何故住みにくい傾斜地に家を建て住むのだろうか?そのことについて長らく私は疑問に感じていたし、現在購入検討中の家が傾斜物件である今は、該当物件が傾斜に建っていることがネックとなっており怒りすら感じているほどだ。

傾斜に建ってさえいなければ!

 

しかしよくよく考えれば、好き好んで傾斜に住む人間などいないだろう。

さては平地に住みたくとも住むことが出来なかった人たちが作った物件。それが傾斜物件なのではなかろうか。

限られた国土の中、人口が増えれば平地に住むことが出来る人間は限られてくる。平地に住める人間。それは強く、権力や金を持った人間たちだ。彼らは何かと理由をつけては限られた平地を独占し、自分にとって価値がないと感じた人間たちを情け容赦なく追い出したのだ。

 

平地から追い出された人間に残されたのは、山や傾き斜めになった荒れた土地だった。

 

斜めの土地に家を建てることは難解である。

平地と同じにように建てれば、床もテーブルも斜めとなる。風呂からはお湯がこぼれだし、テーブルに載せた料理は床に滑り落ち。本棚の本は床に散らばった末、低い方に流れていってしまうだろう。

 

一体どうすればいいのか?

彼らは斜めになりながら考えただろう。

そして彼らは傾斜地を平らにして、その上に家を建てる術を考え出した。

あるものは傾斜地を掘って平らにした。またあるものは傾斜地に土を盛って平らにした。傾斜に柱を建てその上に平らに形成した舞台を作るものもあった。

 

平地から追い出された人々は傾斜と向き合い、時にこれと協力し、時にこれと格闘し、対話しながら叡智を育んできた。

その様にして幾年かすると。傾斜物件は様々な表情を見せるようになった。

いつしか彼らは自分たちの家の遥か下方の平地にべったりと張り付いたつまらなく品のない家々を眺めることとなる。それはかつて彼らを平地から追い出した憎々しい連中たちの家であった。

 

彼らは傾斜と対話を重ねた結果。いつしか傾斜地に平地以上の価値を創造する事に成功していたのだ。傾斜物件とは人の知性の歴史であり、自然と人との対話の一つの回答なのである。

 

そのような夢想とも妄想ともよべる想像をふくらませた結果、なんと私は傾斜物件が好きになっていた。

改めて思えば平地に建つ物件のなんと容易で味気ないことであろう。

 

傾斜物件は人類の英知の具現ではないか。

 傾斜物件を支える擁壁の力強く文句も言わずただじっと家を支える様子は、寡黙で質実剛健な男、まるで高倉健さんではないか。

 

もう一度言おう。擁壁も持たぬ平地物件のなんとつまらず味気のないことか。

難解な土地の上に立ててこその家である。難題に挑んでこその人間である。

 

傾斜物件こそは人の人生そのものである。

 

 

読みにくいところは直したが、あまり手を入れずできるだけそのままとした。

特筆すべきはもうこの時点で私が完全に擁壁礼賛主義者になっている点である。

長崎の数多くの擁壁物件を目の当たりにしたことで、擁壁に対して寛容になるどころか、それを礼賛し、平地物件をディするほどである。

しかしこれは酔った勢いということもある。

私が名実ともに真の擁壁マニアとなりその宣言をするのは、その翌日のことである。

 

■長崎出張2日目:擁壁マニア爆誕

 普段出張先のホテルでは熟睡出来ない繊細な私であるが、何故かその夜は深い眠りにつくことが出来た。一夜明けて長崎2日目、午前の作業が想定よりも順調に進み11時頃に終わってしまった。

昼休み含めて2時間ほどの空きがある。

 

そこで、この時間を利用して私は擁壁物件の調査に行くことを決めた。その客先の周辺は傾斜地となっており、複数の擁壁物件があることは前日からチェックしていたのだ。

 

私は目についた家と家の間を貫く細い階段を上ってみることにした。

 

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その先で私が目にしたものは、想像超える、傾斜物件とその擁壁の数々であった。

 

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 細い道に足を踏み入れるとまず見えるのは、石積みの擁壁。擁壁の隙間からは植物が生えており緑色のアクセントとなっている。

 

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左はブロック塀の擁壁。中央奥は石垣の擁壁。時代を超えた様々な擁壁が同居している。

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まるでお城のような巨大な石垣。これも擁壁だ。上にすでに家はなかったが もとは大富豪の家でもあったのだろうか。

 

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擁壁の上に敷地を増やす為だろうかブロックのバルコニーのようなものがせり出している。

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中腹まで来ただろうか。まだまだ上に傾斜物件がある。右上の山頂には幼稚園のような建築も見える。

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細い階段と家々の間には、元は川だったのだろうか水路がある。

 

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苔がむすことで擁壁に味わいが生まれている。

 

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擁壁に囲まれ猫が気持ちよさそうに寝ている。車の通らないこのあたりは猫にとっては最高の環境だろう。

 

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植物が生えすぎて、もはや原型が不明な擁壁もある。

 

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道路のカーブに沿った美しい曲線を描く擁壁。

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随分高いところまで登ってきた。振り向くと長崎の造船場が見える。手前には急な傾斜につくられた様々な擁壁物件が確認できる。お墓や公園もある。

 

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そのお墓もやはり擁壁で守られている。

 

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何度か改修をしたのだろうか?この家は様々な種類の擁壁が同時に確認出来る。手前の擁壁はゴツゴツとして荒々しい印象だ。

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突然の大雨に降られ道路の高架下に逃げ込んだ。ここにも多くの擁壁が見受けられる。

 

 

擁壁調査をしている中、突然大雨にみまわれた。見つけた道路の高架下でしばらく雨宿りをすることとなった。雨が過ぎるまでの間、私はそこで、これまで見た擁壁のことを思い出し思案に耽った。

まず私はその種類の多さに心を奪われていた。それはまるで昆虫採集の様な楽しみがある。さらに擁壁の美しさにも惹かれていた。工法、素材、風化度合によりさまざまな表情を見せる擁壁たち。その味のある見た目に惹かれたのだ。中には非常に古い擁壁もあり、傾斜と人々との苦闘や対話の歴史を想像することも出来た。そこには傾斜に家を建てる人々の想い、傾斜と人との対話、自然と人との対話を感じた。

その様な想いや歴史も含めた全てを擁壁が支えているように私には思えたのだ。その時、私は擁壁の存在を愛おしくすら感じてしまったのだ。

 

その時の私のツイートが以下である。

 

 擁壁マニア爆誕!!

何の変哲もない一人の男が擁壁マニアへと覚醒したその瞬間である。

まさにこの瞬間、私は自身に生まれた擁壁愛を認め、その事実を高らかに宣言したのである。

 

雨が過ぎた後、擁壁マニアとなった私は擁壁探索を再開する。


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高架下の高い擁壁。平らな斜面を雨が流れる。濡れた擁壁はまた別の表情を見せ始める。


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剥き出しの岩。コンクリート。煉瓦。ここにも複数の種類の擁壁が見られる。


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コンクリートで覆ったタイプの擁壁であるが、表面をレリーフのようにして美しく整えている。雨に濡れることでさらにその立体感が高まり美術品のような印象を与えている。


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こちらも雨に濡れることで美しい模様が生まれたコンクリート擁壁。


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大きさが伝わるだろうか、数十メートルはあろうかという巨大な擁壁。

 


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雨が降ったことにより擁壁は濡れ、新たな表情を見せる。また、水路には水が勢いよく流れはじめた。


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お気づきだろうか?なんとこの擁壁には蟹が住んでいる!正に自然との調和!

 


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その他にも多くの擁壁を鑑賞する事が出来た。

 

 

出張を終え、博多へと戻る私のツイートが以下である。

 上記の通り、この長崎出張は私にとって非常に意義深いものとなった。私にとって擁壁は厄介な問題から、愛でるべき美術建築物へと転換されたのだ。擁壁物件購入検討中のこのタイミングで長崎出張に行くこととなったのは正に天恵、擁壁神の思し召しかもしない。

 

今や私は購入予定物件が擁壁を有していることを喜ばしく思っているほどだ。ハウスインスペクションの結果が待ち遠しいが、よほど危険な状態でない限りは風合いのある今の状態を残したいと考えている。

 

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