本ブログは私たち家族の佐賀移住を計画段階から公開し、その苦楽や顛末などをお伝えしていこうという取り組みである。

ISSUE INTERVIEW(移住インタビュー) CASE.001 私 その1

私は東京生まれ東京育ち。約40歳。
現在、妻と子供と福岡に住んでいる。
先日、佐賀移住を決心し会社に退職の意志を表明したばかりのプレ移住者である。
※退職の経緯については、前回の記事をご参照頂きたい。(僕たち会社辞めました)

 

さて、今回の記事はなんとインタビュー。対談である。
移住をしている先輩移住者に、移住の実状やメリットデメリットなど、移住検討者に有益な情報を聞いていこうという企画だ。先人たちの話からは机上の移住論では到達できない気づきや叡智を得られることだろう。

題して ISSUE INTERVIEW (移住インタビュー)
※「定期刊行物」や「問題」などを意味するissue(イシュー)と移住をかけている。
本ブログの柱の企画としていきたい考えだ。

しかし早速問題が発生した!

インタビューする相手がいない!のだ

Web上で探せば先輩移住者が見つからないことはない。しかし面識のない方にいきなりインタビューをお願いするなど、コミュニケーション能力に一抹の不安のある私には難易度が高すぎる。読者もいないブログの企画では相手にも申し訳ない。
いい企画だとは思ったが開始前に諦めるしかないのか。
その時、私の脳内に天恵ともいえるアイデアが降臨した。

お前がいるではないか。

え!?私!?

確かに、私はまだ移住こそしていないものの既に移住を決心している。この点では移住検討者の一歩先を行く先輩移住者と言えないこともない。
またこんな私であるが、多感であった中高時代には、自身がなにかしらビッグな存在となり何かしらのメディアの若い女子から何かしらのインタビューを受けることを夢想し無駄な時間を浪費したことも多々あるほどだ。
移住インタビューを受ける資格は十分にある言えよう。

まさに灯台下暗し!

完全なる利害の一致!

インタビューしたい私と受けたい私、私しかいないこの世界でウィンウィンの関係が成立した!

というわけで、今回は記者としてのが移住検討者としてのにインタビューをするという私×私インタビューである。前置きが大変長くなったが丁寧な説明なくしてこの狂気の対談をご理解頂くことは困難であろうとの判断からである。
以降は記者としての私を私、移住検討者としての私は便宜上M氏と記述する。それでは記者(私)とM氏(私)の対談をお送りしたい。

 

■ISSUE INTERVIEW(移住インタビュー) CASE.001  私

 

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 ※M氏(私)自宅にて

 現在システムエンジニアをされており、転勤で福岡に住んで5年目というM氏。しかし先日会社から東京転勤の打診を受けたことをきっかけに、会社を辞め佐賀へ移住する決心をしたという。これまでご自身ブログの中で移住のリスクなどについて言及してきたM氏。現在一体どのような心境なのか。M氏の移住の決心にいたるまでの経緯を探る。

 

実は意外な経歴の持ち主 ファッション系専門学校卒!?

記者(私):はじめまして。本日はお忙しい中お時間頂きありがとうございます。

M氏(私):はじめまして。よろしくお願いします。

記者(私):まずは簡単に経歴などお伺いしたいのですが。

M氏(私):出身は東京都世田谷区です。大学では物理を学んでいました。大学卒業後はIT系の会社でプログラマーとして就職しますが、2年ほどで辞めファッション系の専門学校に通い始めます。それが26歳の時でした。

記者(私):!?ファッション系の専門学校ですか!?移住の話にスポット当てたいのにファッション系の専門学校が強すぎて移住の話が入ってきません。

M氏(私):失礼しました。それでは訂正します。大学卒業後IT系の会社でプログラマーとして就職します。その後なんやかんやあって5年前に現在の会社に入社しました。それが33歳の時でした。福岡への転勤を打診されたのは入社して1年後、今から4年前です。現在福岡に住んで5年目。もうすぐ4年と1ヶ月になります。

記者(私):福岡へはご家族で引っ越されたんですよね。奥様とお子様がいらっしゃるとのことですが、ご家族の反対はなかったのでしょうか?

M氏(私):ありませんでした。妻が佐賀県の有田町出身なのですが、丁度転勤の時妊娠していたんです。元々里帰り出産する予定だったので丁度よかったというか。妻は実家が近くなるので大喜びでしたね。

記者(私):なるほど。奥様が佐賀県出身なのですね。それは喜んだでしょうね。奥様とはどこで知り合ったんでしょうか?

M氏(私):ファッション系の専門学校です。

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  ※M氏(私)自宅にて

 

夢を追った高円寺時代 正社員入社への葛藤

記者(私):しっかりと経歴を伺うことにします。IT系の会社でプログラマーをされていたのになぜファッション系の専門学校に進もうと思われたのでしょうか?

M氏(私):プログラミングは最初に入った会社で一から学んだのですが、すぐに飽きてしまいました。プログラミングって人の作ったものだから、難しいけど奥深くない。探求し甲斐がないというか、物足りなさを感じてしまって、「何かもっと正解のないこと、奥深いことがしたい。そうだファッションデザイナーになりたい」と。

記者(私):随分飛躍した発想ですね。何故ファッションデザイナーだったのでしょうか?

M氏(私):そこは感覚ですね。ただ、元々デザインとかファッションが好きだったというのはあります。当時トム・フォードという人がクリスチャン・ディオールイブ・サンローランのデザイナーをやっていたんですけど、この人のデザインする服がとにかく好きでした。特に色使いとか切り替えのラインが好きでした。配色と形状、その組み合わせで、こんなにも心躍るような素晴らしい服ができるという事実に感動と衝撃を受けました。自分に出来るかどうか分からないけどチャレンジしてみたいと思ったんです。また、デザインの中でもファッションが一番自由度が高くて面白そうだと感じました。

記者(私):なるほど。専門学校入学後はいかがでしたか?

M氏(私):専門は3年間通ってちゃんと卒業しました。でも成績はまあ普通。就職は出来ませんでした。ちょうどリーマンショックと重なったことも一因だったかもしれませんが、私もあまり就職に積極的ではありませんでしたね。元々会社を辞めてる訳だし、余程入ってみたいと思った数社しか受けませんでした。3年で結果が出なくても10年で結果が出ればいいくらいに思っていました。

記者(私):学校卒業後はどうされたのでしょうか。

M氏(私):学校に通っているときに世田谷の実家を出て、杉並区高円寺で一人暮らしを始めていたたんですが、卒業後も高円寺に住んでアルバイトをしながらブランドの真似事やってみたり、ホームページ作成してみたりと色々やっていました。妻とは当時まだ結婚していませんが、その頃は同棲してました。

記者(私):なんか高円寺っぽくていいですね。(笑)

 

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 ※M氏(私)自宅にて しきりにろくろを回すM氏

  M氏(私):今思い返してもあの頃が人生で一番楽しかった。お金がなくて将来も不安だったけど、若さと夢とエネルギーと時間があった。ある日、妻(そのときはまだ彼女)と晩ごはんの材料買って家に帰る途中「きっと今が一番幸せなんだろうな」とふと思った時があったんですよね。今思っても本当にそうだったと思う。

記者(私):とてもいい話です。映画化してほしい。そして映画ではそのカップルには別れてほしい(笑)

 M氏(私):本当に「アイデン & ティティ」とか「西荻夫婦」の世界です。舞台も一致してる。で、その時やっていたバイトの1つが今の会社です。正社員にならないかと打診されたときは、私もフリーター生活4年目。まったく先の見えない現状に迷いを感じていた時でした。

記者(私):ようやく今の会社と繋がりましたね。ファッションデザイナーの夢は諦めちゃうんですか?

 M氏(私):ファッションは割と早い段階で諦めていましたね。夢としてはキラキラしてるけどそれを現実に仕事にしようとするとかなりしんどい。製作コストがかかりすぎるし原価率も悪い。結局、パソコンが得意で且つファッションも勉強してるということで、友人がやっていたファッションブランドのホームページを作ったりしました。ファッションデザインからファッションブランドのホームページデザインやブランディングに転向しようと考えたんです。

当時はホームページ作成もレイアウトデザインもブランディングも全く分からない。まさに暗中模索でした。しょっちゅう新中野ベローチェで勉強してましたね。

記者(私):新中野ベローチェですか。当時はかなりアクティブにいろいろやられてたんですね。

M氏(私):はい。でも結局仕事は仕事なんですよね。当たり前だけど納期があってクライアントがいてストレスもある。社会で自分のやりたいことだけやるのは無理なんだなって気づいたんです。結局プログラミングみたいなことやってる訳だし。そんな時に今の会社から正社員入社の話をいただいて。雇用された方がお金もらえるし、お金あればやりたいことだけ出来るぞって。やりたいことやりたいだけなら土日にやればいい。それとあの時は他者から必要とされるということ自体とても嬉しかったですね。なんとなく自分が社会から取り残されている気持ちがしていたから。
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  ※M氏(私)自宅にて あくまでろくろを回すM氏

 

 結婚 入社 福岡転勤 そして第一子誕生

変化の多かった5年

記者(私):正社員として働いて如何でしたか?

M氏(私):やっぱりストレスを感じますね。ストレスの質が違うというか。高円寺で前述のようなことやっていた時は将来への不安がありました。それは刺さるような鋭い恐怖とか不安です。正社員は我慢とか忍耐とか、じんわりとした苦痛で日々心を削られる感じでしょうか?

記者(私):高円寺時代の夢の方はいかがですか。やりたいことは出来ていますか?

M氏(私):入社以降、結婚、転勤、第1子誕生と変化が多すぎて、ほとんど何もできていません。特に福岡に来てからの2年くらいは慣れない場所での仕事、子育てでいっぱいいっぱいでしたね。休日は本当に体と心を休めていました。この5年で作ったホームページは3つくらいかな?いずれも友人のホームページです。

記者(私):なるほど。ところでご結婚はいつ頃されたのですか。お相手は高円寺の彼女さんですよね。 

M氏(私):はい、そうです。結婚はたまたまですけど入社と同じ年です。結婚の方がすこし早かったかな?で、結婚して半年くらいで妊娠して、その半年後くらいに今度は福岡転勤があって、子供が産まれたのはこっち(福岡)に来てからです。

記者(私):本当に忙しかったのでね。ご結婚されたときはまだ正社員ではなかったのですね?

M氏(私):はい。その時はまだの高円寺的な生活の真っ最中でしたね。入社の話も一切なかった。

記者(私):そういうな中結婚するって、なかなか勇気入りますよね。いい奥様ですね。

 M氏(私):ありがとうございます。
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 ※M氏(私)自宅にて ろくろを回す手にぬいぐるみを持ってみるM氏

 

人生に一貫性はいらない M氏の人生観

 記者(私):それにしても。物理、プログラミング、ファッションデザイン、ホームページ作成、システムエンジニア。非常にマルチな経歴をお持ちですよね。

M氏(私):悪く言えば一貫性がない。今回の移住の件も、この流れで見ると一体いつまで続くのか分かりません。でも私は人生に一貫性は不要だと思っています。その方が面白いし、変化や気付きは成長だと思っています。今私が持っている大事なものは全て偶然によって得られたものです。私が一貫していたら妻にも子供にも出会えていない。打算や計画によって得られるものはたいしたものじゃないんです。だからこそ自分の感覚を大事にしていきたい。これの考えは今後も変わらないと思います。

記者(私):すばらしい人生観ですね。

 

 

今回のインタビューでは、思いがけずM氏の意外過ぎる経歴とその人生観に迫ることができた。これもM氏の言う打算からは得られない大切な出会いなのかもしれない。
次回は、佐賀移住の動機やその決心にいたる経緯など、当初聞きたかった内容について聞いてみたいと思う。狂気の対談第二弾をご期待いただきたい。

 

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